「社会契約論」 読了

9月10日(土)

昨晩は寝苦しい夜でした。

今日も暑くなりそうですね。

ルソーの「社会契約論」読了。

やはり当時の時代背景がわかっていないと難しいですね。

以下メモです。

「各構成員の身体と財産を。共同の力のすべてをあげて守り保護するような、結合の一形式を見出すこと。そしてそれによって各人が、すべての人々と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由であること。」これこそ根本的な問題であり、社会契約がそれに解決を与える。

社会契約を空虚な法規としないために、この契約は、何びとにせよ一般意思への服従を拒むものは、団体全体によってそれに服従するように強制されるという約束を、暗黙のうちに含んでいる。そして、この約束だけが他の約束に効力を与えうるのである。このことは、[市民は]自由であるように強制される。

この条件がなければ、市民としての様々な約束は、不合理な圧政的なのものとなり、恐るべき悪用におちいりやすくなるであろう。

自然状態から社会状態への、この推移は、人間のうちにきわめて注目すべき変化をもたらす。人間の行為において、本能を正義におきかえこれまで欠けていたところの道徳性を、その行動にあたえるのである。

人間は体力や、精神については不平等でありえるが、約束によって、また権利によってすべて平等になるということである。

法は、本来、社会的結合の諸条件以外の何ものでもない。法に従う人民が、その作り手でなければならない。社会の諸条件を規定することは、結合する人々だけに属することである。

日本国憲法の成立過程はやはりおかしいのである。手続きは確かにルールに則って行われたかもしれないが・・・。

自分達の法を議論しないのは何故なんだろう。

すべての条文が正しいと信じているのか、思考停止におちいっているのか、どうして一部の条文のみ過度(不安を煽る)にアピールするのか?

どうしてなんだろう。

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