時の試練

3月25日(日)

「島田清次郎は大正の文学青年から見て、まさに天才であった。それを疑うものはすくなかった。それがどうであろう。僅か六十年にして、ほぼ、完全に忘れ去られてしまった。当時としては、むしろ、夏目漱石の文学について疑問をいだくものが多かった。批判も少なくなかった。それが今では国民文学として、近代文学において比骨しうるものなしといわれるまでになっている。」

(中略)

「時間が経てば、たとえ微少でも、風化がおこる。細部が欠落して、新しい性格をおびるようになる-これが古典化の過程である。原稿のときとまったく同じ意味をもったままで古典になったという作品は、古今東西、かつてなかったはずである。かならず、時のふるいにかけられて、落ちるものは落ちてく」

『思考の整理学』外山滋比古 ちくま文庫 より

この古典化の話を2009年に九州で話をしたことがある。

JC運動も時代に合わせつつ古典化される運動であってほしいと願いを込めて・・・。

だれか覚えている人いるかな?

誰も覚えていなかったら、そもそも俺の話がダメだったということか。古典化以前。(笑)

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