日本人指導者にとって教養のもつ意味④

3月30日(金)

『第四に「和漢洋」の教養から普遍的な要素を随時抽出しながら、相手の文化環境や歴史的条件に対応して議論を進める作業は、洋(欧米)中心の知だけで果たされることではない。しかし、自分に欠けた教養についてあれこれ思い悩むことはないだろう。唐の詩人高適(こうせき)も「才あらば適せざる無し。行けや、徒らに労すること莫かれ」と詠っているではないか。指導者にとっては、意思と責任感という才能さえあれば、何とかなる。大事なのは必要に応じる努力なのである。』

『政治家とリーダーシップ』 山内昌之 岩波現代文庫

今日でこのシリーズ終わりです。古典からリーダーシップ論に展開しました。

すべてとは言いませんが今の大臣席に座る方々がどうしても軽く見えてしまうのは私だけでしょうか。

古典を学ばれ政治家として必要に応じて努力されているのでしょうか。

私は、地域のお祭りやら何やらに政治家があいさつ廻りをすることを、受け入れ側がやめるべきだと思います。確かに選挙に勝たなければその地位は確保できませんが、今のようなあいさつ廻りが必要だとは思いません。もちろん地域の声を拾い上げることは必要でしょうが、問題が山積するこの時にもっと大切なことがあると思うのは私だけでしょうか。

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