4月29日(日)
『・・・着手の処、着手の処と逼(せ)り詰めて学ぶのではなくては、百日過ぎてもまだ講堂の内に入らぬのである、一年経っても実践の域に進まぬのである。何様(どう)して心会(しんえ)体得のなんのという境地に到り得るものであろう。何でも彼(か)でも着手の処を適切に知り得て、そしてそこに力を用い功を積んで、そしてそこから段々と進み得べきではあるまいか。
(中略)
儞(なんじ)、脚(あし)あり、儞、歩むべし、儞、手あり、儞、捉(と)るべしである。
(『努力論』 幸田露伴)
後ででは・・・。反省、反省。